2023年01月01日

本年もよろしくお願い致します

明けましておめでとうございます!!

年が明けました。
世界情勢も、景気の動向も気になるところですが、
自分のこと(自分に出来ること)を考えます。

一昨年は、2月に姉を、5月に母を亡くしました。
その上、私を幼稚園のお遊戯会で主役にしてくれて、
人前に出ることが苦にならない道を開いて頂いた
三宅先生が亡くなられていた知らせも入りました。
コロナ禍でもあり、仕事が減るのは仕方ないが、
精神的にはやや辛い一年でもありました。

昨日までの一年間は、オンライン研修が対面に戻り、
一時中止していた研修も復活し、
400名強の元受講者が増えました。
順調にいけば、今年中には延べ3万9千名をクリア出来そうです。

数だけを追っても意味は無いのですが、
コロナ禍でイライラしたり、
不安を持っている受講者そして元受講者が多いと感じる中、
安心しました』『今日は笑顔で帰れます
という感想を、少なからず貰うことが出来ました。
もちろん、研修直後は元気になってくれても、
持続して前進してくれなければいけないのですが…。

対面研修とは言え、蜜にならないことを重視して、
極力近づかない様にしているので、
メンバーとのリアルコミュニケーションはまだまだ取りづらい。

それでも、昨年は、
元受講者や元事務局様と会える機会が増えて、
短時間のお茶会や会食の中で、
生々しい苦労話もそうですし、成功体験もそうですが、
会話の奥にある皆さんの生きざまを垣間見ることができ、
勇気やヒントをもらい、支えてもらっていると実感できました。
全てとは言えないのですが、一年間の交遊録をまとめてみました。
https://mc-yano.biz/yccml004.html


今年の研修は、2月冒頭から対面で始まります。
6月で70歳。
肉体的には多少疲れる程度ですが、
記憶力の衰えを富に感じるお年頃です。
それでも、
現場に居られる喜びを感じながら、
お会いした皆さんから刺激やヒントや声援を頂きながら、
一人でも多くのメンバーに元気になってもらい、
自分を大切にしてもらえるよう取り組みます。


コロナと大雪に邪魔されなければ、
2月は山陰を駆け抜けます。
行きたい行きたいと願いながら実現できていないのは、
当面は関西方面と地元福岡です。
早く会いたい人、心配な人、話を聴いてあげたい人、
ご馳走になりたい人…たくさんいます。
空手形にならないよう頑張ります。

本年もよろしくお願い致します。
posted by Tadashi Yano at 11:48| Comment(0) | 日常・・・

2022年07月01日

facebookを退会

あっという間にもう7月です。
毎日うだるような暑さで、勤労意欲も湧きません(苦笑)。

さて突然ですが、つい先日facebookを退会しました。
30年近いつき合いの友人から、
また変なメッセージが来ました。」という
メッセンジャーが届き、2度目の乗っ取りに愕然とする。
夜中にゴソゴソやってみたが、
これ以上お友達に迷惑をかけられないので、思い切って退会です。

ただ、突然だったのでお世話になった方々に挨拶も出来ず、
近々会う約束のお友達との連絡方法がメッセンジャーしか無いことに気づく。
fb一つで事足りるので、
別の連絡先を確認していなかったことにも今更驚く。
データを復元する方法もあるようですが、
自己嫌悪でしばらくは近づきたくないですね。

facebookの良さもあるのですが、当面は
他者の目を気にせずブログにまとめたり、
一応全国ネットのグループLineや地方毎のグループLineで
ワイワイガヤガヤやっていきたいと思います。

facebookで私が突然消えたことが話題になることも無いと思いますが、
矢野はしっかり生きています。
私のWEBには、連絡先のQRコードもついていますよ。
http://mc-yano.biz/
posted by Tadashi Yano at 16:27| Comment(0) | 日常・・・

2021年12月31日

一年間ありがとうございました!

久々の投稿です。
本年も様々な形でお世話になり、ありがとうございました。

今年は(も?)、色々ありました。
仕事では、対面研修も、オンライン研修(集合型・集合&個人併用型)も
体験させて頂きました。
コロナ禍の研修は大変だと思いながら始めたのですが、
新しい発見も出来ましたよ。
例えば、グループワークは4名か5名がベスト!と思い込んでいたが、
コロナ対策で3名一組にしたところ、思いのほか好評なのです。
私としては、3名では視点の広がりが望めない!?
と疑心暗鬼で臨んだが、メンバーは少人数でじっくり話が出来る、と喜んでくれます。
コロナでなければ、絶対にやらなかったと思うので、
何事も決めつけずに試行錯誤することの重要性を、改めて学ぶことが出来ました。

仕事生活は、辛さよりも現場で受講者と接している喜びを感じながら過ごせましたが、
私生活では辛い出来事も重なりました。
2月25日 四日市在住の姉が77歳で亡くなりました。
彼女は闘病生活も長かったのですが、
私は中部方面の出張時に年に一度は見舞うことも出来ました。
でも、告別式には行かなかったし、未だにお線香あげにも行けておりません。

5月25日 母親が99歳で亡くなりました。
姉が亡くなった後がっかりしたのか、自宅で転んだことが契機でしたが、
入院中に容態が重くなり、逝ってしまいました。
何度か危篤状態を乗り越えたのですが、時間の問題という知らせをもらい、
単身実家に戻り、病院で2,3分だけ見舞うことも出来ました。
かろうじて意識もあり、私のことも分かってくれたと思います。
何故ならば、帰り間際に財布をごそごそ探していた様な…。
多分、わたしの帰りの旅費を心配してくれたのでしょう(苦笑)。
最期を看取ることも出来なかったし、告別式の参列も辞退しましたが、
四十九日は3人で帰省し、最終日は四人で旅行した山口をドライブして、
久子さんとの思い出を噛み締めながら家路につきました。

悲しい思いはこれでお仕舞!と思っていたのですが、
12月に悲しい知らせが届きました。
幼稚園の恩師である三宅ミヱ子先生(旧姓)が、11月9日83歳で亡くなったとのこと。
先生が、おゆうぎ会の主役にしてくれて、それ以来人前に出ることが苦にならない。
いわば、研修講師である私の基礎を作って頂けた恩人だと思っています。
数年に一度博多でデートもしていたのですが、昨年は賀状辞退のお知らせが。
今年の秋、返信は無用だが近況報告を兼ねて私からは賀状を送りたい、
足元が不安であれば地元までお邪魔するのでコロナが落ち着いたら会ってください、
とお願いする手紙を送ったばかりだったのに…。

プラスマイナスを考えると、マイナスの要素が多かった様に思うのですが、
家族愛とか兄弟の助け合いとか、人のご縁やご恩だとか…
嬉しく思えることも沢山ありました。
昨年出会った人々や受講者と接していると、
コロナ禍で自信や元気を無くして、不安になっている人が多いのです。
例え小さなことでも、プラスの側面に目を向けて前進する重要性を感じながら、
来年も、のらりくらりと進んで行きます(笑)。
引き続きのおつき合いをよろしくお願い致します。
posted by Tadashi Yano at 22:24| Comment(0) | 日常・・・

2021年05月28日

久子さん…

一昨日、母親の葬儀を無事に終えました。
とは言え、コロナ禍でもあり、私達は千葉の自宅から見送ったのですが…。

2月25日に娘(私の姉)が亡くなって数日後、
疲れや気落ちもあったのか寝室でこけてしまいました。
圧迫骨折で入院したがリハビリも始まり早期に退院できる筈でしたが、
別の病が見つかりました。
何度か危険信号が出たので、5月10日私が代表で単身帰省し、
なんとか許して頂き、数分間だけ面会が出来て、
どうにか息子のことも分かってくれた様です。
その後も一進一退を繰り返し不死鳥の如く蘇ってくれたのですが、
5月25日5:48 とうとう98才で逝ってしまいました。

私は4人兄弟の末っ子ですが、彼女には一番苦労をかけました。
私が私学に進んだ為、50才を前に専業主婦がいきなりパート生活。
その後も長く働いてくれました。
研修講師として独立してからも、何度経済的援助を頼んだことか…。
(私がよく似ている)外面の良い亭主を立てる振りをしつつ(笑)、
実はしっかりと家庭を守ってくれていたのです。

とても控えめな女性だと思っていたのですが、
ある時期から私の印象は変わっていきます。
経済的に多少の余裕が出来て、母親同士気が合ったこともあり、
2004年から親不孝償い旅行が始まりました。
毎年とはいきませんが、
北海道から沖縄・宮古島まで10回以上旅行することが出来て、
昨年も緊急事態宣言直前に地元でしたが1泊旅行が実現出来ました。
その時は病みあがりなのでおとなしかったのですが、
一昨年の角島・萩・津和野旅行では、90過ぎたおばあ二人が
小さなレンタカーの後部座席で騒いでおります。
私はあまり知らなかったが、女性陣だけの話の中では
私や父親に対する不満等も10年以上かけて少しずつ出て来たようです(苦笑)。
喜怒哀楽を表に出さない人だと思っていたが、
徐々に気持ちを素直に表してくれるようになりました。
昔は無理をしていたかもしれない母親の肩の力が抜けるように、
無理なくつき合ってくれたわが家の二人にも感謝しております。

今回も、姉の時と同様に最期のお別れが出来ませんでしたが、
お通夜と告別式の時間帯は、仏間で線香をあげながら、
3人で久子さんとの思い出話に花を咲かせておりました。
式場の模様をライブ中継でもされていたら号泣していたかもしれないが、
こういう見送り方もあるのかもしれませんね。
 
スケジュールを終えたという甥からの知らせがあり、実家に電話しました。
入院中から葬儀までの一連だけでも、二人の兄弟、なかでも長兄夫婦には
全てお任せになってしまったお詫びとお礼を伝えたかったのですが、
その流れで甥や姪が順番に電話に出てくれました。
後ろめたさを感じながら、近況確認をしていると、
ナースとしてのアドバイスや世話をしてくれた姪が居たり、
ケアマネとして初めて家族の役に立てたと話す姪が居たり、
久々に聞いた甥兄弟の声を確認して次代を頼む場面も…。
それほど長い時間ではなかったが、
最後にもう一度電話に出てくれた長兄の声がくぐもっている。
久子さんは皆に愛されているし、大きな柱であったことを実感できました。

久子さんは逝ってしまいましたが、
天国で先に逝った人達と今頃仲良くしていることでしょう。
残った家族や親類も、喧嘩もしながら仲良くしていきます。
改めてそんなことを考える機会を、久子さんが残してくれました。

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( 2018年4月18日 角島にて )
posted by Tadashi Yano at 10:41| Comment(0) | 日常・・・

2021年02月28日

満代さんとの別れ…

今日も花粉症が激しく、自宅に居てもマスクして鼻水を止めています。

昨日、四日市の姉の葬儀が無事に終わった様です。
様です、と言うのはご多分に漏れずコロナの影響で、
家族だけでお通夜と告別式を済ませ、
私達は遠くから冥福を祈るしかありませんでした。

それでも、有難かったのは、
義兄と二人の娘と家族四人の時間を数日間過ごせたこと。
長い間自宅で闘病生活を送っていたのですが、
2月15日に緊急入院し、検査の結果予断を許さないという診断で、
最悪1週間と言われ、あと数時間という状況もあったらしいが、
頑張ってがんばって頑張り抜いて、
25日のお昼まで家族と一緒に居てくれました。

実は、天皇誕生日が母親の98才の誕生日だったので、
前日や当日に悲しい知らせを伝えるのは辛いという思いもあったのですが、
私達の願いも受けとめてくれたのでしょうか。

四人姉弟の一番上と一番下ということもあり、
昔から可愛がってもらい、大人になってからも仲が良かったです。
倉敷から四日市に転居して、療養生活も長いのですが、
私が名古屋方面の出張も多かったので、1年に数回見舞いに行き、
弱気になったり、福岡に帰りたいというのを宥めたものです。
今の状態では帰省も難しいから、
 Drや皆の言うことを聞いて、帰省できるところまで回復しようね

と説得したのも何回だったか…。

コロナ禍で大変な時期に、親族は見送れなかったが、
子どもや孫たちに送ってもらえたことも、彼女へのご褒美だと思います。

彼女が病に倒れてから何年になるのだろう。
長い間、仕事をしながら、甲斐甲斐しく通院のアテンドや、
薬や体調管理の数値をエクセルに落としてDrと相談したり、
献身的に世話をしてくれた兄には心から感謝しております。
時々、夜中の3時頃報告のメールが届くのですが、
病室で姉貴と向き合っているのが居たたまれなかったのかもしれません。

昨夜、同居している姉の孫からラインが届き、
ばあばにもしっかり支えるからって伝えたところでもあり、頑張ります!
と言ってくれました。
幸い、兄貴には同居の娘と孫が居てくれるし、
近くに嫁いだもう一人の娘も居てくれるので、安心しております。

別れは辛いですが、家族が仲良くお別れをして、
これから先を皆で考えてくれていることが大切だと思います。
私達も最期のお別れは出来なかったが、
改めて”家族の絆”について考えさせてもらいました。

それにしても、コロナ禍で大切な従兄と実姉との最期のお別れが出来ませんでした。
一時も早く終息することを祈ります。
posted by Tadashi Yano at 11:49| Comment(0) | 日常・・・

2020年12月31日

大晦日

あっという間に大晦日です。

自分なりに予定を組んで事務整理、大掃除小掃除をやって来たのですが…。
予定は8割消化できたものの、庭の除草等外回りの宿題が残る。
些細なことなのですが、先日ネットで購入したアンテナ接続の部品が
どこを探しても見つかりません。
金額はワンコインでも、物忘れに老いを感じてしまうのが悔しい。
新年早々見つかって苦笑いすることを祈ります(笑)。

今年はコロナに始まりコロナで終わり、来年は益々激化する様相も…。
研修は、1社でリアルとオンラインを組み合わせたり、
延期も中止もありましたが、様々なバージョンを楽しんだ積りです。
前回のブログにも書いたので省略しますが、
苦労したというよりも新鮮な気づきの方が多かったです。

ただ、私生活では数十年ぶりに再会できた高校時代の友人の訃報や、
兄とも慕う従兄が亡くなったことをコロナの影響でずっと後に知るなど、
辛い別れが応えました。
もちろん、今年の受講者、刺激的な大学生、随分昔の受講者との出会いや再会等
嬉しい出来事もあったのですが…。
出張にも行ったが、宿泊先と研修会場の往復だけで、
観光気分で散歩することも一切無かったですねえ。

来年もコロナは落ち着きそうにないですし、
すでに入っている次年度の研修予定も実施できるかどうかは未知数です。
それでも、現場に居る喜び、人との関りで幸せになれることを実感できたので、
来年も現場と人との触れ合いを楽しもうと思います。
posted by Tadashi Yano at 17:20| Comment(0) | 日常・・・

2020年11月30日

もう12月!

あっという間に、明日から12月です。

先週で本年の研修は終了しました。
1日コースのオンライン研修2本で締める。
メンバーの様子が画像を通してしか見えないので、
若干寂しかったのですが、
自分なりにはやり遂げた積りです。
数日後に到着する感想ラベルを読むと、
気持ちが揺らぐ可能性もありますが…。

12月は、除草やデッキや外壁の洗浄等の力仕事を含め17の宿題があり、
ブログを書いている余裕は期待できないので、今、筆をとります。
この1年コロナ禍に振り回されたものの、
ギリギリのところでリアル研修やオンライン研修の組み合わせに救われ、
これまでに無い経験も出来ました。
私は、リアルでもオンラインでも、私とメンバーとの関係ではなく、
メンバー同士がいかに心を開いて話し合えるかを大切にしているが、
そのスタンスに大きな間違いが無いことを実感できました。
研修のグループワークは3人でも充実できることを実感できたことも一つ。
30年近く講師をやっていると、
グループワークは4名以上!”という思い込みがあったのかも…。
来年以降の運営方法に幅が広がりそうです。

コロナ禍ゆえに、悲しい経験もしました。
学生時代物心ともに世話になった従兄の進兄貴が、
8月上旬に亡くなっていたことを最近になって知りました。
関西方面に行った時には奈良を訪ねて、短時間でも話せたのですが。
療養中だったこともあり、帰りには『もう、わざわざ来んでもいいぞ!
嫌がっても、また来るよ〜』と声を掛け合っていたのに…。
また、年一度必ず見舞いに行っていた人生の師匠にも、
今年は一度も会えませんでした。
 
それでも、人との出会いの中で刺激をもらえることもありました。
つい最近では、8年くらい前に婚活支援事業をお手伝いした担当様とのご縁で、
就活中の若者(たまたま大学の後輩)と知り合い、
彼の神楽にかける情熱や、”人を繋ぐ”ことに関わる思いを学べました。
また、複数の友人が、50代で夢を実現するために、真剣に資格取得に挑戦しています。
受験するだけではなく、確実に合格して更に次のステップを狙っており、
そういう仲間を紹介すると、是非一緒に話したいと輪が広がっていきます。
つい先日、親類の若者と久々にゆっくり話したら、
幼い頃からパティシエを目指して専門の高校まで行ったが、
恩師の影響を受けて保育士の道を目指し、
あと一息で実現出来そうなところまで来ています。

私は、人と出会い、話せば話すほど、幸せな気分になれます。 
来年もコロナ禍に翻弄されることを覚悟していますが、
人と触れ合うことで、元気と勇気をもらい前進したいと思います。
今は、line動画やZOOMもあるので、よろしければおつき合いくださいねぇ。
posted by Tadashi Yano at 17:51| Comment(0) | 日常・・・

2020年06月08日

2020年の誕生日

昨日は、誕生日でした。
67才、
昔描いた将来像では、今頃は船橋と沖縄半々で暮らしている筈でしたが、
なかなか思うようには行きませんねぇ。
だからこそ人生は面白い!、と負け惜しみです(笑)。

午前中、孫もどきのウータン(2才)からLINEが届き、
ビデオ通話でハッピーバースデーをフルで上手に歌ってもらいました。
ついでに、動物の耳やら鼻を加工した画面を作成して盛り上がる。

朝目覚めた時から既にポツリポツリと、
フェイスブックの友達からのメッセージが届いていました。
元受講者や彼らとのオフ会で知り合った皆さん、
第一企画時代に採用に関わった当時の新人さんがざっと半々でしょうか。
一人ひとり、出会った経緯や関係性等を思い出しながら、
文面はアッサリですが、懐かしさと感謝を込めて返信していました。
今更誕生祝でも無いので表示しないことも出来るのですが、
数十名の友人と、
文章とは言え、旧交を温めるチャンスはこの日しかありません。
研修講師は日常ですが、採用担当者のモードになって、
いい歳をしたおじさん達を新人さん扱いです。

コロナ禍の影響で、予定の研修も延期になったり、中止になったり、
あるいはオンライン研修に切り替わったり…。
これが一年続くと大変なことになります。
マイナス面に目を向けると気が重くなりますが、視点を変えると、
当たり前に暮らしていた日々を見直す契機になっているし、
様々な人々に支えられていることを強く感じます。

数日前に誕生日を迎えた友人も、
例年にはないほど多数のメッセージを受け取ったと言っていました。
やはり、人は人と接することで、安心し、元気になれるのでしょうか。
 
まずは、濃厚接触がメインのキャリア研修を、
オンライン上で如何に再現するか、試行錯誤を重ねます。


夜は、私の大好物を、妻が数年ぶりに作ってくれたので、大満足。
食後寛いでいると、
親類の翔太君(中1)と健斗君(小3)から動画がラインで届き、
二人でハッピーバースデーを歌ってくれている。

お礼のラインを送った直後に、今度は甥からのライン。
こちらも、秀悟君(小2)と志歩ちゃん(年少)が
ライブでハッピーバースデー。
志歩ちゃんからの「誕生日見せてよ〜」リクエストには困りましたが…。

家族や親類の温かさを感じながら、
これからも人との関りを大切にしていきたいと思える誕生日でした。
特に今年は…。
posted by Tadashi Yano at 15:53| Comment(0) | 日常・・・

2020年05月10日

また一人、友が逝く…

自宅です。
コロナ禍で大変な状況ですが、
必要最小限の通院と買物隊以外は自宅作業に集中しております。

そんな中、毎週土曜日の午後、
ZOOMを使って”午後の語り場”を15週続けております。
キャリアコミュニテイーのメンバーと言うか、
研修やセミナーの受講者がメインです。
毎回2,3名から多くても6名ほどですが、
メンバーが変わると話題も変わり楽しいです。
昨日も、3名でしたが、同じ県の共通項があり話が弾みました。
自宅に独りで居ると滅入ることもあり、
人と会話することで元気や刺激をもらえたりもします。
一番元気と刺激を貰っているのは、私なのですが…(笑)。

肩に力を入れず生活している積りですが、
悲しい知らせも入ってきます。

5月2日の朝、高校時代の同級生の訃報が入りました。
彼は優等生、私は劣等生という関係でしたから、
高校時代の接点は少なかったと思うのですが、
京都の大学に進学したことが契機だったのでしょう。
私はお寺の学生会館を親類に紹介してもらい、
彼は在籍する大学でも超有名?な学生寮に落ち着く。
初めて寮を訪ねた時には、
風呂上がりとおぼしき女性が普通に歩いている。
この寮は同棲もありかと、田舎者には衝撃でした(笑)。

そうしているうちに、彼は寮の自治委員長になり、地下に潜っていく(笑)。
忘れた頃、夜中下宿にスーッと現われて、私の手作りグラタンを食べていく。
短い時間でしたが、映画が大好きで監督になりたくて、
某監督に長文のラブレターを送ったがやんわり断られた話とか、
学部を決めるときも本人は文学部志望、父上は法学部を勧めて譲らず、
最終的に間をとって経済学部にしたとか…
彼らしい世界観?を披露してもらいました。
ただ、4回生になり、4年分の単位を1年間で履修したという、
本人談なので確認はとれていないが、集中力を発揮し、
無事に卒業して関西の市役所に入庁したまでは知っていました。

それから40年。

卒業後も気になり探していたのですが、なかなか見つかりません。
というより、探すと迷惑をかけるかとも…。
ところが、2017年6月10日(土)
高校の有志同窓会で共通の友人が繋いでくれて、交流が復活します。

2017年8月20日(日)
数日前に突然上京する知らせが入り、
新宿のホテルで42年ぶりの再会を果たしました。
彼は私を結婚式に呼んだというが、いっさい記憶にございません。
記憶力に自信は無いが、それにしても35年以上は会っていない。
  
40数年の時を埋めるのは難しいと言いながら、いきなり自分の大病の話、
最近亡くなった奥様の10年近い闘病生活、馴れ初め、
二人で取り組んでいた福祉事業、公務員時代の福祉現場の状況…
頑張りたいと思っても病気やら様々な事情で働けない人の存在を、
彼自身が体験していることも…。
 
本人にも伝えたのですが、相変わらず頭も切れるし、
頑張りたいが上手く行かない人の痛みを分かろうとする、支援する、
昔から知っている彼でした。

この時の上京も、亡くなった奥様のご姉妹が最期に会えなかったので、
直接会って闘病生活の状況を説明しお礼を伝えたいということでした。
そんな優しい男が別れ際に一言。
奥様との闘病記を文章にすることと、彼女との約束(理想)を果たすために、
もう一度政治活動に戻ることも考えていると…。
その時点で、彼の病気が再発していることも聞いていました。

その後、彼はFBに登録して投稿をしながら、
時々FBの操作方法を聞いて来たりとやりとりをしていたし、
近いうちに彼が暮らす地方を訪ねる積りでいたのですが、
最近になり地元に戻ったところまでは聞いておりました。

同じ頃知り合った別の悪友から、
かなり重篤な病状であることを聞いていたがままならず、
5月2日の朝訃報が入りました。
5月1日はメーデー。
最後まで、ヒロキさんらしかったかな?
心から、ご冥福を祈ります。
posted by Tadashi Yano at 11:14| Comment(0) | 日常・・・

2020年02月15日

今できること…

気がつくと、新年が明けて初めての投稿です。

元々書きたいと思ったタイミングで書いている積りですが、
あまり楽しくなる話題も無かったので…。
今回も、楽しい話題とは言えないが…書いておきます。

1月中旬、家族旅行先の旅館で寛いでいたら、
息子同然の甥が入院した連絡が入る。
幸い大事には至らなかったが、今後の体調管理は必須です。
そこから始まりこの1か月間、親類関係だけでも、
脳梗塞、心臓病、脳動脈瘤という病名が聞こえてきます。

この歳になれば、自分や家族親族を含めて、
病気や生死に関わることは当たり前なのですが、
一時期に集中すると、特に考えさせれますね。

昨日、ある人生の先輩から、
人間、いつ何が起きるか分からないのだから、
 何が起きても大丈夫な様に、準備をしておかなければ…。

とアドバイスを頂いたのですが、もう間に合わないかも…(苦笑)。

今朝も、大切な友人からご家族の容体が重篤だというlineが届きました。
何度かの危機を乗り越えているので、今回も信じております。


一連の流れを想定した訳でもなく、
むしろ時期的に迷惑をおかけしているのですが、
明日から4日間福岡に帰省します。
義母(92才)が事あるごとに
福岡のおかあさん、元気かねぇ。会いたいねぇ。
とつぶやくので、
実母(96才)との巨頭会談を実現させます。
二人が、なんとか歩けて、互いの存在を認識できるうちに…。
これも、”今できること”の一つだと思って楽しんできます。
posted by Tadashi Yano at 09:05| Comment(0) | 日常・・・

2019年06月20日

42年目

明日からの2日コースの研修に備えて、都内のホテルに前泊です。

【6月18日(火)】

この日で、結婚してから42年目に突入です。
40年以上、雅代君には楽しんでもらえたことも多少はあるが、
それ以上に苦労や心配をかけていると思います。

更に、今年の前半は公私共に様々な問題が起きております。
私は、信じるところを好きなように生きていますが、
パートナーは大変ですよねぇ(苦笑)。

そんなこともあり、気分転換も兼ねて、
いつものお店とは違うイタ飯屋さんに行きました。
敢えて店名はあげませんが、ニョッキがとても印象的なお店です。
ただ、お店の造りの関係上、他のお客様のご迷惑にもなるので、
記念撮影は自重しました。

写真は、お店の一角と私が頂いた料理をあげておきます。

翌日愛車が坂道でエンジンダウンして入院してしまい、
後半戦も何が起きるかわかりませんが、
二人でなんとか元気で42年目を迎えられたことに、
心から感謝しております。

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posted by Tadashi Yano at 17:22| Comment(0) | 日常・・・

2019年06月07日

66才

今日は、66才の誕生日。

朝から、facebookを通じて、様々なメッセージが届いております。
お祝いメッセージを頂くのは照れくさいのですが、
日頃ご無沙汰している方のお名前は懐かしいですし、
第一企画で採用した新人さんの当時のエピソードなどを
不思議なくらい思い出して、ニヤニヤしております。

ロイヤルと第一企画での通算16年間の人事屋時代も、
上司の言うことを素直に聞かず自由にやらせてもらいました。

その延長線上で、研修講師を始めてからも、
どこまで自由に続けられるかとやってきたのですが、
そろそろ綻びが出てきたようです(笑)。

今年に入ってから、公私共に悩ましい問題が続出しております。
全体像を見ていると不安とイライラも募るが、
一つひとつの問題に対して解決策を考えていくと、
行動に伴い、あるいは時間の経過とともに悩みは解消していきます。

とは言え、大きな問題はすぐには解決できないので、
全ての原因は自分にあると考えて、
究極のプラス発想をしながら、少しずつ前進していきましょう。
その過程も、客観的に見るだけの余裕も出て来ました。


昨日、将太健斗ママが、
プレゼントと二人からのバースディメッセージを持ってきてくれました。
親書の秘密は守らなければならないので、
健斗のひらがなだらけのメッセージカードの、
絵の部分だけを切り取ります。
   kentogahaku.jpg
私の顔を眺めていると、将太にいにいが書いてくれた絵と画風が似ている。
血は争えないものです(笑)。
posted by Tadashi Yano at 11:02| Comment(0) | 日常・・・

2019年04月16日

新人研修の作戦会議

【4月14日(日) 夜】

昼間は、歌ちゃんが遊びに来てくれたので、にいにい達も呼んで大騒ぎ。


夜は、にいにい達パパが、新人研修の講師を担当するというので、作戦会議でした。

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研修の中でも、”新入社員導入研修”と”フォローアップ研修”はとても重要だと思うが、
何故か65才のおじいちゃん先生には依頼が来ない(苦笑)。
新人さんは、夢と希望を持ちながら、それ以上に不安も抱えているはずで、
不安を解消し、夢や理想に近づけるためには、”自分”がしっかりしなければ、
その為にも、目前の課題も大切だが、先を見据えた視点と行動が大切である
と伝えたいのですが…(笑)。

パパの持ち時間は3.5時間位というので、
彼が部下(人生の後輩)に伝えたいメッセージを予め確認した上で、
私の持っている資料を新人さん向けにアレンジして、6ページにまとめる。
一応ストーリーは考えているつもりだが、
講師初体験の人に同じ様にやれとは言えません。
ただ、参加型の研修にしたいというので、
単品でも使えるところを重点的にアドバイスします。

しばらく現場から離れていると、忘れている訳でもないが、
すぐに言葉にならないし、漏れもあります。
継続の大切さを、元自転車操業だった研修講師は痛感しております。

もっと短時間で終るかと思っていたが、
この内容は、自分の役にも立ちます。』とお世辞を言いながら、
時に鋭い質問をしてくれるので、結局3時間くらい、
急遽作ってもらったおにぎりを食べながら、頑張りました。

彼の性格も多少は理解しているつもりなので、
一部でも活用してもらえれば嬉しいし、無視されても仕方がない。
研修で聞いたり考えたことを、全て覚えている訳ではない。
 最後に、この3時間で一番伝えたかったメッセージをまとめておけば、なんとかなる!

と捨て台詞を残して、危ない作戦会議は終了です。

彼から、終了後報告が返ってくるかどうか…。
因みに、講義料は出世払いです(笑)。
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人生の師匠

【4月12日(金)】

今日は、福岡まで遠征してきました。
高校時代に使っていたJR折尾駅が様変わりしており、驚きました。
 
新入社員時代の上司であり、仲人でもあり、
研修講師を始める契機を作るなど、”人生の大師匠”と言える方のお見舞いでした。
一緒に仕事をしたのは2年弱なのですが、その後も東京出張時に会って頂くし、
年に一度帰省時に、うなぎをご馳走になり近況報告をさせて頂くのが楽しみでした。

昨年もお邪魔する予定だったのですが、直前にキャンセルになったので、
約2年振りの再会です。
部屋で車椅子に座り笑顔で迎えてくれたので、すぐに握手する。

長居はご迷惑とすぐに失礼するつもりでしたが、
奥様から前回から2年間のリハビリの経緯やら福祉現場の実態を伺いながら、
リハビリと男のプライドの関連や、奥様の専門領域で私の悩みのアドバイス等々、
気づくと100分を超えていました。
昔話をしていても、私のいい加減な記憶を訂正したいが、
言葉が不自由なので伝えられずイライラもされていたのでしょうが、
奥様のお仕事の苦労話に話題を替えたり、
師匠の大親友で私達の披露宴の司会をやって頂いた健作さんに電話をかけたり、
笑いと涙であっという間でした。
 
健作さんがスマホを通して話しかけた途端、
涙がポロポロこぼれる姿を見てジェラシーも感じたのですが、
お別れするときに流してくれた涙が嬉しくもあり、切なくもありました。
7月には、おっさん3名と奥様と昔話に花を咲かせたいと思います。
 
お元気な時には、有能な人事屋さんでありコンサルタント、
面倒見が良いが厳しさも備えており、色々な人達から相談を受ける存在でした。
私も、年に一度の報告会で褒めてもらうことが、次へのエネルギーになりました。
これまでのご活躍だけでも、世のため人のために充分なっておられるのですが、
病に倒れることでしばらく活動は停滞してしまいます。
客観的な評価はさておき、ご自身の中で現状をどの様に捉えておられるのか、
ご本人に聞いてみたい気もするが、今はまだ聞けません。

私自身は、病に倒れた訳ではもないのですが、ここへ来て仕事の環境が変化しており、
これまでの足跡の納得度、そして現在、これから先を考えている時期なのです。
 
お見舞いと言いながら、内心喝を入れてもらう積もりでお邪魔したのですが、
期待通りに、穏やかな雰囲気の中で、言葉は無くても元気にさせて頂きました。
それは、過去における実績や関係性や信頼関係があるからこそ、なのでしょう。
老若男女を問わず、いつ何が起きるか分かりません。
死んでしまう瞬間、病に倒れる瞬間、過去を振り返ることは難しいだろうからこそ、
自分に悔いの無いように生きなければ、少なくともなんとなく生きることは勿体無い、
と改めて考えております。
問題は、どう行動するかなのですが…。
posted by Tadashi Yano at 11:13| Comment(2) | 日常・・・

2019年04月06日

ブログ再開

しばらく自宅勤務が続いていますが、
来週ちょっと福岡に戻ります。

さて、SNS対策を見直し、過去のブログを整理しておりました。

2006年2月8日(水)
恥ずかしながら、”ブログ”が何か良く分からず始めたのです。
http://mcy.sblo.jp/article/326552.html

10年以上続けていると、投稿量だけはかなりのボリュームです。
読み返してみると、時々良いことも書いてあるし、原点を思い出すこともあり、
最近再会した人で随分久しぶりだと思っていた人と数年前に会っていたとか、
新鮮な?発見や気づきもあります。
まさに、私個人の日記としては懐かしく読めるのですが、
年間を通して同じ様なことをやり、同じ様な発言をしております(苦笑)。
それも事実なので、仕方ないのかなと…。

ただ一つ気づいたのは、ある時期までは”日記”に感情が入っていたが、
最近は”報告書”になっている様な…。
実際の報告書を書くときには参考になるのですが、
であれば公開する必要は無い。

今後は、投稿頻度も少なくなりますが、実際にやったこと、
素直に思ったこと、感じたこと、気づいたことを書こうと思います。
posted by Tadashi Yano at 11:04| Comment(0) | 日常・・・

2018年07月29日

嬉しい再会 その6

【7月23日(月) 午前 】

いよいよ、最終日。
9時半過ぎにロビーで待っていると、高級車の登場です。
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幼なじみの修ちゃんが、愛車を駆って向かいに来てくれました。
まだ買ったばかりですが、これから徐々に改造していくらしい(笑)。

この日、わざわざ仕事を休んでくれたので、
まずは中学時代の恩師F山先生を訪問しました。
折角なので、思い出深い場所を迂回しながら向かうが、途中でこんな光景も。
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土日は山笠の予定だったが、その余韻なのか、大雨の性で順延になったのか…。
前夜見学できなかったので良かったが、やはり夜見たかった。

先生と私は、生徒会や演劇で指導を仰ぎ、
大学時代の帰省時先日亡くなったM田君と二人でお邪魔しておりました。
修ちゃんと先生は、陸上部と野球部が同じグラウンドで共存していたし、
先生が一番信頼する教え子のS藤さんが我々陸上部の2年先輩でもあるなど、
様々な場面で繋がっていました。
でも、元生徒のことを良くご存知なので不思議だったが、
実は教師を始めて最初の教え子がS藤さん
私達も3年目の教え子だったという衝撃の事実が明らかになりました。
その昔、”和製アランドロン”というニックネームで、風格があった先生が、
新米教師だったとは…。
だから思いいれも強く教え子のことを詳しいのだと、妙に納得しました(笑)。
先生と話していると、己の愚かさが見破られそうで、いつも緊張します。
それでも、時々お会いして話を聴いて頂きたい存在なのです。


【7月23日(月) 昼食 】

お昼前に失礼して向かった先は、カウボーイ家族青山店

数日和食が続いており肉が恋しいのが一つ、
自宅の傍にはお店が無いので、古巣のステーキハウスを試してみたかったのが一つ。
会社を休んで運転手までやってくれた修ちゃんへのお礼も込めての昼食です。

お昼前でしたが、幸か不幸かお客様が少なく、ゆったりしたお店の雰囲気。
ステーキを頼むと少し高めだが、ハンバーグでも美味しそうです。
スープ、サラダバー、ドリンクバー(デザートも)がついたステーキは、
とても美味しいと思いました。
   DSC_0191.jpg
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約60年のつき合いですが、一時期連絡も途絶えておりました。
それでも、10年位前から関係が復活し、
この日も、仕事のこと、家族のこと、体調のこと、親の介護等々
かなり真面目な話を笑いながらしておりました。

店の雰囲気もウエスタン調で、静かなので、久々にじっくり深い話もしていたのですが、
お客様を呼ぶのでしょう、真後ろにオチビちゃんが一緒のファミリーが来たのは、
ご愛嬌ということで…(笑)。

昼食を大満足で終えて、昔懐かしい場所を少しだけドライブして、
黒崎バスセンターまで送ってもらい、北九州空港経由で家路につきました。
posted by Tadashi Yano at 10:01| Comment(0) | 日常・・・

嬉しい再会 その5

【7月22日(日) 夜 】

毎晩遊んで疲れたのか、寝坊する。
午後から、実家に戻り、母親と長兄夫婦の4名でしばし歓談する。
母親とは、4月に妻と義母と4人で角島〜萩〜津和野を旅行したばかりだが、
気分転換になったのか、一時期墓地でこけてふさぎ込んでいたらしいが、
思いのほか元気が良いのでホッとしました。

大雨の影響か、JR鹿児島本線が不通になっている中、
マイカーで助けに来てもらって向かった先は、小倉駅に近い和食屋さん
今回の旅行は、和食が続いております(笑)。
お相手は、私の姉同然の従姉妹と、その娘けい子さんご夫婦。
けい子さんとは久々だし、旦那様とゆっくり話すのは今回が初めてです。
無理を言って個室をとってくれたらしく、
昔話から親類の近況報告やビデオ鑑賞、旦那様の夢などなど
4人で大笑いしながらゆっくり話すことが出来ました。
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けいこさんは命を預る専門職なのですが、
仕事に対する真摯・厳しい向き合い方を聞いていると、
私の仕事のぬるさを実感してしまいます。
とても刺激的でした。
posted by Tadashi Yano at 09:37| Comment(0) | 日常・・・

嬉しい再会 その4

【7月21日(土) 夜 】

大きな荷物を抱えてJR黒崎駅まで行き、一旦ホテルにチェックイン。
実家もさほど遠くはないが、2泊して自由に動き回る拠点です。

しばらく自室で仕事をしたり、休憩をとっていると、
高校時代からの悪友澄夫さんが迎えに来てくれました。
しかも、しばらく会えなかった信子さんも一緒です。
 
三人で三ヶ森にある料理屋さんに向かう。
こちらは、何度か連れてきてもらっているが、今は予約を取るのが大変らしい。
特に注文しなくても、彼の大好物を中心に次から次へと出てきます(笑)。
そして、澄夫さんはよく飲み、よく食べ、信子さんも食べていました。
私も、生小1杯で、ひたすら食べまくるが、とても彼にはついていけません。
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帰省のたびに必ず会ってはいるが、最近はゆっくり話すことが少なかったようです。
3人で、互いの近況を確認し、共通の友人の様子を共有化し、
かなりディープな話もありました。
彼は農業をやっているが、人脈に興味深い人物が多いし、
自然と向き合う姿勢はどこか達観しております。
頭が上がらない人物の、3本の指に入ります(笑)。

運転手さんが一足先に帰った後もさんざん飲んで食べてから向かった先は、
徒歩2分の”スナック恋(れん)”。
たまたま他にお客様が居なかったし、
ママスタッフも気さくで、私の実家近くにお住まいということもあり、
初めてとは思えないほど、会話とカラオケで盛り上がりました。
そうしていると、お客様はじわじわと寄ってくるものです。
ママとは、FBのお友達になりましたよ(笑)。
posted by Tadashi Yano at 09:31| Comment(0) | 日常・・・

嬉しい再会 その3

【7月21日(土) 昼 】

ホテルでゆっくり起きて朝食を取り、千葉で待つ扶養家族のお土産を買い、
JR博多駅で待ち合わせたのは、旧姓三宅先生です。
幼稚園の恩師で、お遊戯会の主役にしてもらって以来人前が苦にならなくなった、
いわば私の原点を作ってくれた恩人です。
そのことに気づいて30年ぶりに探し当て、以来2,3年に1度デートしております。
この日も、予約客で一杯だったお寿司屋さんで特上寿司を頬張り、
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隣のホテルで珈琲フロートをご馳走になりながら、しばし歓談。
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50歳の時から約30年ダンスを続けておられ、
今でも、ステップを覚えるのが楽しいよ〜。』と仰います(笑)。
ここにも、刺激を与えて頂ける存在が居ます。

実は、この日は数ヶ月前から人生の師匠であるF永先生をお見舞いする予定でしたが、
事情があってそれが叶わなくなりました。
年に一度、先生に1年間の報告をするのが楽しみだったのですが、
独り立ちしなさい!ということだと理解してガンバリマス。
posted by Tadashi Yano at 08:13| Comment(0) | 日常・・・

2018年06月18日

41年目

自宅に戻りました。
朝から関西方面は大変なことになっていますが、
年に一度の記念日なのでご容赦ください。
被害が最小限に収まることを祈っております。

先ほどまで、佐倉市にあるリスランテ・カステッロさんにお邪魔しておりました。
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本日で、披露宴をあげてから41年目に突入です。
先週は福岡に居たので、遠距離恋愛していた2年間や天神の小さなホールでの挙式、
通称”なめくじ長屋”での新婚生活を思い出していたところです。

昨年も様々なことがあり、雅代君には苦労も心配もかけました。
これからも、苦労をかけどうしになるのでしょうが、
お互い健康管理に気をつけて喧嘩をしながら進んでいきたいと願っております。

とりたてて話すこともなく、契約不履行になっている海外旅行の希望を確認したあとは、
黙々と食べました(笑)。
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私がベジョータで、雅代君が子羊のローストで…、
と書いていたら、メインディッシュはソースは違えど昨年と同じでしたぁ(笑)。

結婚記念日だと分かると、お店から小粋なプレゼントが…(笑)。
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今年も、幸い?仕事の予定が入らず、素敵な時間を過ごせました。
夫婦にとって年に一度の節目なので、ここで感じたり考えたことを実践します。
posted by Tadashi Yano at 17:02| Comment(0) | 日常・・・