2020年05月10日

また一人、友が逝く…

自宅です。
コロナ禍で大変な状況ですが、
必要最小限の通院と買物隊以外は自宅作業に集中しております。

そんな中、毎週土曜日の午後、
ZOOMを使って”午後の語り場”を15週続けております。
キャリアコミュニテイーのメンバーと言うか、
研修やセミナーの受講者がメインです。
毎回2,3名から多くても6名ほどですが、
メンバーが変わると話題も変わり楽しいです。
昨日も、3名でしたが、同じ県の共通項があり話が弾みました。
自宅に独りで居ると滅入ることもあり、
人と会話することで元気や刺激をもらえたりもします。
一番元気と刺激を貰っているのは、私なのですが…(笑)。

肩に力を入れず生活している積りですが、
悲しい知らせも入ってきます。

5月2日の朝、高校時代の同級生の訃報が入りました。
彼は優等生、私は劣等生という関係でしたから、
高校時代の接点は少なかったと思うのですが、
京都の大学に進学したことが契機だったのでしょう。
私はお寺の学生会館を親類に紹介してもらい、
彼は在籍する大学でも超有名?な学生寮に落ち着く。
初めて寮を訪ねた時には、
風呂上がりとおぼしき女性が普通に歩いている。
この寮は同棲もありかと、田舎者には衝撃でした(笑)。

そうしているうちに、彼は寮の自治委員長になり、地下に潜っていく(笑)。
忘れた頃、夜中下宿にスーッと現われて、私の手作りグラタンを食べていく。
短い時間でしたが、映画が大好きで監督になりたくて、
某監督に長文のラブレターを送ったがやんわり断られた話とか、
学部を決めるときも本人は文学部志望、父上は法学部を勧めて譲らず、
最終的に間をとって経済学部にしたとか…
彼らしい世界観?を披露してもらいました。
ただ、4回生になり、4年分の単位を1年間で履修したという、
本人談なので確認はとれていないが、集中力を発揮し、
無事に卒業して関西の市役所に入庁したまでは知っていました。

それから40年。

卒業後も気になり探していたのですが、なかなか見つかりません。
というより、探すと迷惑をかけるかとも…。
ところが、2017年6月10日(土)
高校の有志同窓会で共通の友人が繋いでくれて、交流が復活します。

2017年8月20日(日)
数日前に突然上京する知らせが入り、
新宿のホテルで42年ぶりの再会を果たしました。
彼は私を結婚式に呼んだというが、いっさい記憶にございません。
記憶力に自信は無いが、それにしても35年以上は会っていない。
  
40数年の時を埋めるのは難しいと言いながら、いきなり自分の大病の話、
最近亡くなった奥様の10年近い闘病生活、馴れ初め、
二人で取り組んでいた福祉事業、公務員時代の福祉現場の状況…
頑張りたいと思っても病気やら様々な事情で働けない人の存在を、
彼自身が体験していることも…。
 
本人にも伝えたのですが、相変わらず頭も切れるし、
頑張りたいが上手く行かない人の痛みを分かろうとする、支援する、
昔から知っている彼でした。

この時の上京も、亡くなった奥様のご姉妹が最期に会えなかったので、
直接会って闘病生活の状況を説明しお礼を伝えたいということでした。
そんな優しい男が別れ際に一言。
奥様との闘病記を文章にすることと、彼女との約束(理想)を果たすために、
もう一度政治活動に戻ることも考えていると…。
その時点で、彼の病気が再発していることも聞いていました。

その後、彼はFBに登録して投稿をしながら、
時々FBの操作方法を聞いて来たりとやりとりをしていたし、
近いうちに彼が暮らす地方を訪ねる積りでいたのですが、
最近になり地元に戻ったところまでは聞いておりました。

同じ頃知り合った別の悪友から、
かなり重篤な病状であることを聞いていたがままならず、
5月2日の朝訃報が入りました。
5月1日はメーデー。
最後まで、ヒロキさんらしかったかな?
心から、ご冥福を祈ります。
posted by Tadashi Yano at 11:14| Comment(0) | 日常・・・
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