【4月12日(金)】
今日は、福岡まで遠征してきました。
高校時代に使っていたJR折尾駅が様変わりしており、驚きました。
新入社員時代の上司であり、仲人でもあり、
研修講師を始める契機を作るなど、”人生の大師匠”と言える方のお見舞いでした。
一緒に仕事をしたのは2年弱なのですが、その後も東京出張時に会って頂くし、
年に一度帰省時に、うなぎをご馳走になり近況報告をさせて頂くのが楽しみでした。
昨年もお邪魔する予定だったのですが、直前にキャンセルになったので、
約2年振りの再会です。
部屋で車椅子に座り笑顔で迎えてくれたので、すぐに握手する。
長居はご迷惑とすぐに失礼するつもりでしたが、
奥様から前回から2年間のリハビリの経緯やら福祉現場の実態を伺いながら、
リハビリと男のプライドの関連や、奥様の専門領域で私の悩みのアドバイス等々、
気づくと100分を超えていました。
昔話をしていても、私のいい加減な記憶を訂正したいが、
言葉が不自由なので伝えられずイライラもされていたのでしょうが、
奥様のお仕事の苦労話に話題を替えたり、
師匠の大親友で私達の披露宴の司会をやって頂いた健作さんに電話をかけたり、
笑いと涙であっという間でした。
健作さんがスマホを通して話しかけた途端、
涙がポロポロこぼれる姿を見てジェラシーも感じたのですが、
お別れするときに流してくれた涙が嬉しくもあり、切なくもありました。
7月には、おっさん3名と奥様と昔話に花を咲かせたいと思います。
お元気な時には、有能な人事屋さんでありコンサルタント、
面倒見が良いが厳しさも備えており、色々な人達から相談を受ける存在でした。
私も、年に一度の報告会で褒めてもらうことが、次へのエネルギーになりました。
これまでのご活躍だけでも、世のため人のために充分なっておられるのですが、
病に倒れることでしばらく活動は停滞してしまいます。
客観的な評価はさておき、ご自身の中で現状をどの様に捉えておられるのか、
ご本人に聞いてみたい気もするが、今はまだ聞けません。
私自身は、病に倒れた訳ではもないのですが、ここへ来て仕事の環境が変化しており、
これまでの足跡の納得度、そして現在、これから先を考えている時期なのです。
お見舞いと言いながら、内心喝を入れてもらう積もりでお邪魔したのですが、
期待通りに、穏やかな雰囲気の中で、言葉は無くても元気にさせて頂きました。
それは、過去における実績や関係性や信頼関係があるからこそ、なのでしょう。
老若男女を問わず、いつ何が起きるか分かりません。
死んでしまう瞬間、病に倒れる瞬間、過去を振り返ることは難しいだろうからこそ、
自分に悔いの無いように生きなければ、少なくともなんとなく生きることは勿体無い、
と改めて考えております。
問題は、どう行動するかなのですが…。
2019年04月16日
人生の師匠
posted by Tadashi Yano at 11:13| Comment(2)
| 日常・・・
と思ってましたが…
そういう気持ちを忘れてしまったり
後悔したり、ノホホンと過ごしたりする
人間てそういう生きものなのかも知れません。
そして、そういう生き方も別に悪いわけでもない
というか、もしかしたら人間らしく生きられている証拠なのかも
とも思うようになりました。
逃げてるようにも見えるけど、じゃあ逃げることは悪いのか…とかね。
答えは無い、正解もない、結局自分が納得できるかどうか、ですよね。
亀レスでごめんなさい。
”日々…”と言うと私も嘘になるが、
時々「いかん、いかん」と反省したり、
「今は、この脱力感を楽しもう」とか、
”意識”はしているつもりです。
もちろん、避難も大切だと思う。
自分で自分を守るしかないと思うし…。
自分が納得できるかどうかを大切にしたいが、
自分で判断できない状態に陥ることもあるので、
他者の無責任発言を参考にして、
視点を変えてみることも…。
昨夜も、常連さんから泣きが入っておりました(笑)。