2018年11月22日

宮城県北部〜岩手県南部

【11月17日(土) 岩手県〜宮城県】
 
昼過ぎに新幹線でJR石巻駅に降り立つと、
迎えに来てくれていたのは、神楽名人
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宮城県某市の震災復興に派遣されているので、陣中見舞いの積もりです(笑)。

昼過ぎなので、車を30分走らせて彼のアパート近くにあるお店に。
東京で修業されたご主人と地元出身の奥様でやっているが、
料理が美味しくて安くてボリュームたっぷり!!
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派遣されて間もない名人の憩いの場所らしいが、うなづけます。
名人には東北は味つけが濃いらしいが、こちらは大丈夫らしいです(笑)。

美味しい魚に満足した後は、今回のメインテーマである気仙沼の見学へ。
まず驚いたのは、地元の高校の校舎でした。
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鉄骨鉄筋が飴細工の様にグニャグニャになっており、
まだ残っている建屋も教室内が空っぽでした。
自然の威力は凄まじいです。
  
また、名人が指差す先には集落があったらしいが、今は廃墟です。
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動画も撮ったが重過ぎてアップできないのですが、
写真の正面に見える白壁の高さまで一帯が防潮堤で囲われるそうです。

この木の右手には、奇跡的とも言える神社と家が残っておりました。
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その後も、時間ギリギリまで市内の海岸部を走りました。
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この小さな入江も、左手に見える民家まで津波が登ってきたそうで、
今後はここにも防潮堤が建設されるらしい。
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綺麗な海が、これからは益々高い防潮堤で遮られてしまいます。
景観の問題だけでなく、漁業への影響や自然破壊も気になるが、
第一優先は人間の安全性ということですかねぇ。
住民にも様々な意見が出ており、高い防潮堤にも賛否両論が…。


この夜は、二人で石巻まで車で戻り、高速バスで仙台に行きました。
二人とも仙台は不案内なので、仙台出身で仙台勤務もあった橘ちゃんに教えを乞う。
地下鉄を避けて歩きで迷いながら向かった先は、おしかさん。
派遣された経緯については車内で充分話し合ったので、
夜は出会った頃から現在までを振り返る。
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料理も美味しかったが、また少しだけ名人との距離が縮まった様に思います。


【11月18日(日) 宮城県〜岩手県】 
 
前夜は神楽名人と熱く楽しい一時を過ごしたが、
下戸の私はおつき合いが難しいし、
名人は受験勉強もしているので、3時間弱で解散でした。

この日は、一人で宮城県北部と岩手県の南部を走ることにしました。
たまたまですが、レンタカーの営業所がホテルから徒歩1分の場所にありラッキー。
お土産に”萩の月“を頼まれたが、朝の8時には駅では買えないと思い込み、
ナビで本店を探して行ったが、ナビ通りに走るとお店が出てこない。
ナビに頼ってはいけないと、自分の頭で考えたら1本外の大通りの筈。
3順目にして見つかりました。
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聞いてみると、駅ナカでも8時前からでも買えたらしいが、
客の一人ひとりにお茶を出してくれるのには驚きました。満足です。

ナビだけを頼りに市内を抜けてまずは松島を目指します。
松島は予想より観光客が少なかった様ですし、
石巻も国道と海の間に広大な土地が広がっているが、震災後のことかどうかは不明…。

ここがどこだったかもすでに忘れてしまったが、海岸から随分内陸まで工事中。
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南三陸町あたりだったか…。

陸前高田は、5年前最初に訪ねた被災地だったので特に印象深かったのです。
今回はまず全体を俯瞰しようとしたが、景色が違って見えます。
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上記写真の左手のコンクリート建造物の裏手にあるのが奇蹟の一本松です。
一本松と建物は残っていたが、これも防潮堤がすぐ傍に立っていた。
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前回は、瓦礫はむろん、お花が手向けられている場所も多かったが、
今はきれいに取っ払って宅地等にするのか。
まだまだ復興は遠いという印象です。
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前回の面影を探そうと何度か周回していると、多分前回もあった建物がありました。
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でも、道路の位置関係が変わったのか、私の記憶が間違っているのか…。

前回はひたすら海沿いを走った積もりだが、
今回は無料の三陸道に惑わされて、ルートを間違えたのか。
それでも時折見える人家の無い入江は、
海がとても綺麗だし、無粋なコンクリートもありません。
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初日からそうだったのですが、国道を走っていると、
過去の津波浸水地区のはじまり(ここまで)”という看板が立っているのですが、
とんでもなく高い場所まで浸水しており、その看板が行けども行けども出てくるのです。
今回2度目の私でも(だから?)徐々に気が滅入ってくるのですが、
地元の皆さんはどの様な思いでこの看板と向き合っているのでしょうか。
 
釜石に着いた段階で、宮古経由は苦労した様な記憶が蘇り、
念のために?!遠野経由で戻りました。
遠野は、小説の題材にもなっているようなので一度行ってみたかったが、
素朴な田舎町だなぁと思っていると、
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駅周辺は独特の雰囲気がありました。
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他にも雰囲気のある一画があったが車で駆け抜けたので、
次回はゆっくり歩いてみたいと思います。
 
約5年振りに再訪しましたが、あと2年半?で復興出来るとは思えないし、
堅固にはなっても人が気持ち良く暮らすにはどうなのかなぁと思ってしまいます。
補助金を出せばそれで終わり、現場のことは現場任せで、
連携が悪く誰も責任を取らない状況も、考えられます。

今回は、レンタカーで走り抜けただけで、何も出来ていませんが、
これからも時々お邪魔して復興の進度を見守りたいと思います。
前回も思ったのですが、自然豊かな岩手県は大好きですし、
自然と人間が共存できる土地に戻って欲しいと願ってやみません。
posted by Tadashi Yano at 18:00| Comment(0) | 元受講者・事務局様
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