2021年05月28日

久子さん…

一昨日、母親の葬儀を無事に終えました。
とは言え、コロナ禍でもあり、私達は千葉の自宅から見送ったのですが…。

2月25日に娘(私の姉)が亡くなって数日後、
疲れや気落ちもあったのか寝室でこけてしまいました。
圧迫骨折で入院したがリハビリも始まり早期に退院できる筈でしたが、
別の病が見つかりました。
何度か危険信号が出たので、5月10日私が代表で単身帰省し、
なんとか許して頂き、数分間だけ面会が出来て、
どうにか息子のことも分かってくれた様です。
その後も一進一退を繰り返し不死鳥の如く蘇ってくれたのですが、
5月25日5:48 とうとう98才で逝ってしまいました。

私は4人兄弟の末っ子ですが、彼女には一番苦労をかけました。
私が私学に進んだ為、50才を前に専業主婦がいきなりパート生活。
その後も長く働いてくれました。
研修講師として独立してからも、何度経済的援助を頼んだことか…。
(私がよく似ている)外面の良い亭主を立てる振りをしつつ(笑)、
実はしっかりと家庭を守ってくれていたのです。

とても控えめな女性だと思っていたのですが、
ある時期から私の印象は変わっていきます。
経済的に多少の余裕が出来て、母親同士気が合ったこともあり、
2004年から親不孝償い旅行が始まりました。
毎年とはいきませんが、
北海道から沖縄・宮古島まで10回以上旅行することが出来て、
昨年も緊急事態宣言直前に地元でしたが1泊旅行が実現出来ました。
その時は病みあがりなのでおとなしかったのですが、
一昨年の角島・萩・津和野旅行では、90過ぎたおばあ二人が
小さなレンタカーの後部座席で騒いでおります。
私はあまり知らなかったが、女性陣だけの話の中では
私や父親に対する不満等も10年以上かけて少しずつ出て来たようです(苦笑)。
喜怒哀楽を表に出さない人だと思っていたが、
徐々に気持ちを素直に表してくれるようになりました。
昔は無理をしていたかもしれない母親の肩の力が抜けるように、
無理なくつき合ってくれたわが家の二人にも感謝しております。

今回も、姉の時と同様に最期のお別れが出来ませんでしたが、
お通夜と告別式の時間帯は、仏間で線香をあげながら、
3人で久子さんとの思い出話に花を咲かせておりました。
式場の模様をライブ中継でもされていたら号泣していたかもしれないが、
こういう見送り方もあるのかもしれませんね。
 
スケジュールを終えたという甥からの知らせがあり、実家に電話しました。
入院中から葬儀までの一連だけでも、二人の兄弟、なかでも長兄夫婦には
全てお任せになってしまったお詫びとお礼を伝えたかったのですが、
その流れで甥や姪が順番に電話に出てくれました。
後ろめたさを感じながら、近況確認をしていると、
ナースとしてのアドバイスや世話をしてくれた姪が居たり、
ケアマネとして初めて家族の役に立てたと話す姪が居たり、
久々に聞いた甥兄弟の声を確認して次代を頼む場面も…。
それほど長い時間ではなかったが、
最後にもう一度電話に出てくれた長兄の声がくぐもっている。
久子さんは皆に愛されているし、大きな柱であったことを実感できました。

久子さんは逝ってしまいましたが、
天国で先に逝った人達と今頃仲良くしていることでしょう。
残った家族や親類も、喧嘩もしながら仲良くしていきます。
改めてそんなことを考える機会を、久子さんが残してくれました。

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( 2018年4月18日 角島にて )
posted by Tadashi Yano at 10:41| Comment(0) | 日常・・・