今日も花粉症が激しく、自宅に居てもマスクして鼻水を止めています。
昨日、四日市の姉の葬儀が無事に終わった様です。
様です、と言うのはご多分に漏れずコロナの影響で、
家族だけでお通夜と告別式を済ませ、
私達は遠くから冥福を祈るしかありませんでした。
それでも、有難かったのは、
義兄と二人の娘と家族四人の時間を数日間過ごせたこと。
長い間自宅で闘病生活を送っていたのですが、
2月15日に緊急入院し、検査の結果予断を許さないという診断で、
最悪1週間と言われ、あと数時間という状況もあったらしいが、
頑張ってがんばって頑張り抜いて、
25日のお昼まで家族と一緒に居てくれました。
実は、天皇誕生日が母親の98才の誕生日だったので、
前日や当日に悲しい知らせを伝えるのは辛いという思いもあったのですが、
私達の願いも受けとめてくれたのでしょうか。
四人姉弟の一番上と一番下ということもあり、
昔から可愛がってもらい、大人になってからも仲が良かったです。
倉敷から四日市に転居して、療養生活も長いのですが、
私が名古屋方面の出張も多かったので、1年に数回見舞いに行き、
弱気になったり、福岡に帰りたいというのを宥めたものです。
「今の状態では帰省も難しいから、
Drや皆の言うことを聞いて、帰省できるところまで回復しようね」
と説得したのも何回だったか…。
コロナ禍で大変な時期に、親族は見送れなかったが、
子どもや孫たちに送ってもらえたことも、彼女へのご褒美だと思います。
彼女が病に倒れてから何年になるのだろう。
長い間、仕事をしながら、甲斐甲斐しく通院のアテンドや、
薬や体調管理の数値をエクセルに落としてDrと相談したり、
献身的に世話をしてくれた兄には心から感謝しております。
時々、夜中の3時頃報告のメールが届くのですが、
病室で姉貴と向き合っているのが居たたまれなかったのかもしれません。
昨夜、同居している姉の孫からラインが届き、
『ばあばにもしっかり支えるからって伝えたところでもあり、頑張ります!』
と言ってくれました。
幸い、兄貴には同居の娘と孫が居てくれるし、
近くに嫁いだもう一人の娘も居てくれるので、安心しております。
別れは辛いですが、家族が仲良くお別れをして、
これから先を皆で考えてくれていることが大切だと思います。
私達も最期のお別れは出来なかったが、
改めて”家族の絆”について考えさせてもらいました。
それにしても、コロナ禍で大切な従兄と実姉との最期のお別れが出来ませんでした。
一時も早く終息することを祈ります。
2021年02月28日
満代さんとの別れ…
posted by Tadashi Yano at 11:49| Comment(0)
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